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2012年1月25日 (水)

NO.130 山本五十六

山本五十六の名前を知っている人は少なからずいるだろう。

ただ、山本を、多くの人が「軍国日本」の象徴としてとらえているのではないかと思う。

それは、誤解だ。

①山本は、戦前のアメリカ駐在時代に、日本とアメリカとの国力の差には100倍の開きがあると繰り返し唱えていた。

②山本は、終始対米戦争に反対していた。ただし、思い切って反対を唱えるならば右翼に命を奪われかねない立場にあり、自分の力ではどうしようもなかった。

③対米戦争開戦当時、連合艦隊司令長官の立場にあったが、本来、彼の年齢ではとうに退官して予備役に編入されているはずであった。対米戦争という現実が、彼の在職期間を延ばすことになり、ひいては戦地で命をおとすことにつながった。

④対米戦争以前に、戦艦「大和」「武蔵」の建造計画が持ちあがった時、山本は「これからは航空戦の時代になる。巨大戦艦を作る予算と資材があるなら、軍用機製造に振り向けたほうがはるかにコストパフォーマンスに優れる」と語っていた。

真珠湾攻撃や、中国大陸への渡洋爆撃は、まさに「軍用機を使った戦争」だった。

数え上げればキリがないが、要するに、こういうことを山本は言いたかったのかと。

・アメリカと戦争しても負けるのは明らか。

・艦船同士が大砲を射ち合って相手を撃沈させるという従来の発想を転換し、航空機を使用した戦が有効に機能する。

戦争で美化されている人間が、全員開戦賛成だったなんて、とんでもないよ。

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コメント

山本五十六に限らず、軍人の話がデタラメな事が多いのは何故なんでしょう。
酷いものになると人格否定の話もあるようで。

確か海軍はアメリカの事を熟知していてアメリカと対戦しても負けるという考えだったのですよね。 
それだけ情報がなかったと言いますか、聞く耳を持たない人が多くいると怖いなあとも思いました。
 

こんばんは。

そうなんですよねぇ~。

名前は良く聞いて、山本五十六を悪視されることが多々ありますが、
海戦反対されてましたよね。

時代背景的に仕方なかったと思っています。

こんばんは!
国力の差を知っていたからこそ、真珠湾攻撃によって米国の海軍力と米国民の戦意を喪失させ、早期講和を目指したのだと思います。

真珠湾攻撃成功の歓喜に沸く中、戦果の中に航空母艦が含まれていないことに、山本長官はなにを想ったのでしょうか。

航空戦力の優位性を知り、航空攻撃を以て大打撃を加え、経戦意思を挫いて講和へ繋げようとした山本長官。

太平洋戦争はミッドウェー海戦までは勝ち戦だったというのが一般的かもしれませんが、長官は独り、開戦当初から別の想い、別の覚悟で指揮を執っていたのかもしれませんね…。

米内光正海軍大臣、
山本五十六海軍次官、
井上成美軍務局長。

以上の「海軍非戦派トリオ」は、命を賭けて国家国民の為に頑張りましたよね!(ノ_;)

あかなめさん、こんにちは。いつもコメント、ありがとうございますhappy01

以前も触れたかもしれませんけど、日本が対英米戦争に突入したのは、ひとりの独裁者の判断の結果ではなくて、誰も「反対」と言える雰囲気ではなかった、当時の首相も含めて・・・

というのが通説になりつつあります。

ドイツのヒトラーのような独裁者に引きずられてというのとは、かなり違うわけです。

情報が足りなかったかどうかはわかりませんけど(都合の悪い情報は担当レベルでに消去していたかもしれません)、ドイツ軍の勝利が怪しくなってきたときに対米戦争に突入したというのは、不運としか言いようがありません。

中国戦線、東南アジア戦線、太平洋戦線、それぞれ性格は異なります。
けれども、いずれの戦争も私は正当化も賛美もできません。

海軍も、アメリカとの戦争は反対であったとしても、中国との戦争でどう振る舞ったか?
これを深く勉強したいと思っています。

ちっちかもさん、こんにちは。コメント投稿、ありがとうございますhappy01

あかなめさんのコメントへの返事でも触れましたけど、対米開戦前に海軍がどのように振る舞っていたかですよね。

あの有名な海軍のゼロ戦(零式艦上戦闘機)は、日中戦争でも大活躍しました。
それこそ、中国を制圧するという壮大な夢に向かって。

当時の世の中では、国内では仕方なかったのかもしれませんけど、それがアジア諸国への弁明になるかといえば、難しいでしょうね。
いじめを加えた側が、「あのいじめは仕方なかったんだよ」と言っても、言い訳にもならないのと一緒かと思っています。

M167Fさん、こんにちは。コメント投稿、ありがとうございますhappy01

みなさん、山本五十六は、無類の「博打好き」だったんですよ。

真珠湾攻撃は、山本の発案です。

海軍の力で、対米戦線の初期段階でアメリカに大打撃を加えて講和に持ち込む。
同時に、陸軍が東南アジアの石油地帯をはじめとする列強の植民地を制圧して、
イギリスを屈服させる。

このような筋書きどおりに事が運ぶかどうか、山本は疑心暗鬼だったのではないかと思っています。
自分で発案しながら、どうして?と言われそうですけど。

真珠湾に航空母艦がいなかった時点で「レーダーをはじめとする軍事技術力の差」、「報復攻撃」諸々を考えて、山本は「覚悟」を決めたと思います。

国際条約派さん、こんにちは。コメント投稿、ありがとうございますhappy01

米内、山本、井上…阿川博之の海軍三英傑シリーズに出てくる提督(ていとく)ですね。

いずれも要領が良かったとは言えません。

山本は、海戦時偶然「大日本帝國聯合艦隊司令長官」の座にいたため、有名人に祭り上げられましたけど、もっと要領よく振る舞っていれば、悠々自適の余生が送れたのではないかと思っています。

米内は、総理大臣も勤めましたよね。

井上は、海軍兵学校(広島県の江田島という島)の最後の校長でしたっけ?
当時は英語ご法度だったのに、井上は英字新聞や英米の雑誌を取寄せ、読みふけるどころか、兵学校の教え子に「日本が廃墟となった時に、君たちは平和日本再興のために、世界で通用するエリートとして活躍せねばならん。それには英語が必要になる。しっかり勉強するように」

と、非国民扱いされかねない教育をしていました。

昭和15年9月頃だったと記憶しますが、時の連合艦隊司令長官山本大将が、当時の総理近衛文麿氏を訪問、会談されました。

 当時ドイツは各戦線において連戦連勝し、日本はドイツ、イタリアと三国同盟を締結し、他方米国は英国と同盟を強化し、日米間は次第に緊迫しつつある時でありました。会談はこのような時に行われたのでありますが、もし、日米相戦わざるを得ない時はどうなるのであろうかの問題について、山本長官は次のように話しています。

 「……結果を考えずに是非やれと言われれば、初めの一年や一年半は存分に暴れて見せます。しかし、二年、三年となれば、責任を持てない……」と述べております。この山本長官の話は、一国の運命を左右する帝国海軍の最高責任者の言葉としては如何なものかと、密かに厳しい批判をした人々もあったようです。

 しかし、当時私は、この話を聞き、山本長官は「艦隊戦闘力の第一は行動力にある」という観点から意見を述べたものであると直感しました。すなわち、当時わが海軍の平時における燃料消費量は年間約100万トンであり、戦争に突入すれば、その所要量は平時所要量の約4倍、すなわち400万トン必要となります。当時、日本海軍の燃料備蓄量は約600万トン(実際は650万トン)でありましたから、山本長官は、この燃料備蓄量から見て、1年や1年半は暴れて見せますと申されたと推定します。すなわち、裏を返せば、対米戦争は、やってはいけないという進言であったと思います。

 当時、近衛さんは第2次近衛内閣を組織し、陸海軍はもとより、政界、財界並びに国民から厚い信頼を受けておられた時であり、山本長官の心中を洞察するに、全力を挙げて日米対立外交から日米協調外交へ取組むべき時であったと思います。すなわち、当時交戦中の英、独はそれぞれアメリカ、日本の同盟国であります。したがって、近衛さんが大局的見地に立って、米大統領ルーズベルトに対し、「日米協力して英独間の講和条約を締結せしめようではないか」と強く提案協議したならば、第二次世界大戦は欧州のみで終わったと思います。その結果、日米両国は戦うことなく平和国家として発展したと思います。そして、英明な昭和天皇のもと偏りすぎた陸海軍人も次第に改革され、支那大陸からの撤兵、南方資源の確保等平和裡に行われ、新生日本時代を迎えたのではないかと思います。要するに近衛二次内閣時代こそ、日本運命の分岐点であったと思いますが、残念ながら近衛さんでは不可能だったわけです。

思うに戦争回避の好機は昭和15年山本連合艦隊司令長官が時の近衛総理と会談の頃であり、もし当時の総理が山本権兵衛、加藤友三郎のような人物であれば、必ず戦争の危機を回避できたと思うのであります。

HTNさん、こんにちは。コメント投稿、ありがとうございますhappy01

山本の非戦の願い空しく、対米戦争に突入したわけですけど、連合艦隊司令長官とはいえ、上からの命令には従うしかない。
そこで山本は、自らの言葉どおり緒戦では太平洋で暴れまわりましたよね。

ミッドウェー、ガダルカナルの結果を受けて、当時の日本政府は降参すればよかったと思います。

あまり知られていませんけど、枢軸国イタリアは英米に降参するとともに連合軍側に寝返りました。

こういうことは、戦国時代から日本人が得意とするところだったはずなのに、いつから日本という国は、流されやすい国家になってしまったんでしょうね。

日本は、単に安保条約にしがみつくだけでなく、平和外交でも上手に振舞ってもらいたいものです…

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