新ねこバス新聞 社説(へのリンク(笑))←アメブロ

新ねこバス新聞 別刷

  • 新ねこバス新聞 別刷
    旧ねこバス新聞時代から続く、新ねこバス新聞の別刷。こちらより、もっと軽いことをマイペースで書いていく予定です。ただし、無茶苦茶更新頻度低い(笑)
フォト
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« NO.103 別れ、そして新たな出逢い | トップページ | NO.105 不登校とひきこもり »

2011年12月 8日 (木)

NO.104 12月8日・・・対英米蘭戦争から70年

1941年12月8日、日本軍はハワイ・オワフ島の真珠湾に奇襲攻撃をかけました。

対中戦争で行き詰まっている中での開戦です。

不意打ち、いえいえ、アメリカの罠にかかった、いろんな説がありますけど、いずれにしろ日本が真珠湾のアメリカ軍を攻撃したことは事実です。

当時、ヨーロッパではナチス・ドイツを中心とする枢軸国がイギリスを除くヨーロッパを勢力下におさめていました(中立国を除く)。
唯一イギリス軍が孤軍奮闘していました(西部戦線)。

孤立主義をとるアメリカは、ひそかにイギリスを支援するために輸送船を使いイギリスへ物資を補給していましたが、建前としては中立を維持していました。

ヨーロッパや中国での戦争を世界戦争にしたくない、平和を維持したいというアメリカ人民の世論が強かったため、アメリカは戦争から距離を置いていたのです。

また、植民地を持たないドイツが人口増に対応するため、生き延びるために、小麦などの穀物をはじめ鉱物など様々な資源が豊富なソビエト南部(ウクライナおよび周辺)を奪い取るべく、ソ連軍と激しい攻防を繰り広げていました(東部戦線)。

実際には、東部戦線でもアメリカの支援を得たソビエト軍がドイツ軍へ反転攻勢をかけ、ドイツ軍は苦戦を強いられていました。

アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツに夢を託した日本は、愚かな戦争に突入してしまいました。

自国の領土であるハワイを攻撃され、人民をあげて怒りに燃えたアメリカは、対日戦争に突入することになりました。

Remember Parl Harbor(真珠湾を忘れるな!)

同時に、アメリカは日本の同盟国(三国同盟)であるドイツ、イタリアにも宣戦布告しました。

ドイツにすれば、西部戦線で英米中心の連合軍、東部戦線でのソ連と、挟み撃ちになる形になり、「時期を失した有難迷惑」な同盟国の参戦となってしまいました。

当時の東条英機首相を日本のヒトラーみたいに独裁者と言う人もいますけど、とんでもない。

当時も日本は独裁国家ではありませんでした。

確かに権力者ではあったけど、「独裁者」などではありませんでしたよ。

ナチス・ドイツとは国家体制が異なります。

立憲君主制です。

賛成派?アメリカと戦争して勝てる?なんて本気で思っている閣僚は東条を含めてひとりもいませんでした。

「中国大陸から撤兵し、利権を放棄しなければアメリカ・イギリス・オランダおよびその勢力下にある地域からの日本への石油等天然資源の輸出をストップする」という、当時の「一等国」の日本としては容認できない条件に慌てふためいたものの、結局、「座して死を待つよりは…」というムードに、誰も反対の声を上げられなかったというところでしょうか。

どうして誰も反対できなかったのか?

私なら、ボクなら、俺なら絶対反対する!

そんなこと、できなかったようです。

東条であろうと、右翼からのテロを恐れていました。

やはり、どうしようもなかったのでしょうか…

ちなみに、12月8日は真珠湾攻撃よりも先に日本軍がマレー半島に上陸し、その先端にあるイギリスの「東洋最強の要塞」シンガポールを目指して南進を開始した日でもあります。

あの日から丸70年の本日。

ブログ、もっと早い時間に上げればよかったと後悔しています。

戦争について反省するだけでなく、「誰も反対できないムード」に覆われた時に立ち上がる勇気があるかどうか、振り返ってみてはどうでしょうか。

私には…です。重い。

« NO.103 別れ、そして新たな出逢い | トップページ | NO.105 不登校とひきこもり »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。 
親が戦争体験者である最後の世代、と思ってます。 
なぜ、戦争になったのか、なぜ、多くの人が苦しまなければならなかったのか。
読んだり聞いたりしただけのことですが、私の原体験として、上からの押し付けを鵜呑みにしない、という基本がここから来てます。 
わかっていながら、NOと言えなかったというハクさんのお話は、ちょっとしたショックでした。 
あー、そーか。そーなんでしょーねー。
狂気の連続殺人犯と、徴兵されて戦地に赴く人とは全然違います。
それは誰でもわかります。
でも、わかってて抗えない指導者とは、違うとしても線引きはどこでしょうかねー。

けいちむさん、こんにちは。コメントありがとうございますhappy01
私の父は5歳のころB29の銀色に光る編隊を見たと言ってます。
母は終戦の4か月前の同じ日に生まれました。

ドイツやイタリアと比べて、日本の戦争責任が未だにアジアの国々で問題視されているのは、

「本当の責任者が誰なのか?」

ということが曖昧な点にあると思います。

A級戦犯として処刑された唯一の文官広田弘毅元首相も、連合艦隊司令長官(元海軍省次官)山本五十六元帥も、対米戦争に抵抗の姿勢を示しながらも、結局「時の声」に逆らうことはできませんでした…

天皇は、現代と同様、当時も無力でした。
それでも、立憲君主制の下での昭和天皇はお飾りとはいえ、一定の発言権を持っていたようです。
終戦の詔勅、いわゆる「玉音放送」は、天皇の英断です。

私たちにできることは「二度と戦争をしてはならない」と、心の中で誓うことでしょうか。
それから、現代でも世界各地で争い事が発生していることに背を向けないで関心を持ち続けることなのでしょうね。

ひとりでは解決不可能な、とても難しい問題です。

今、広島に来ています。主人がこちらに単身赴任して早3年。他にも所用があり、今日明日の2日間ですが原爆ドームの近くの外資系ホテルに滞在中です。母は昭和の年号と同い年。東京の外れで看護婦の職についていた母。間一髪で機銃掃射から逃げた話など戦争については子供の頃からよく聞いていました。でも一昨年、平和記念資料館およびその周辺、原爆ドームも訪れ、大変な衝撃を受けました。戦争はみな不幸になります。してはいけないことなのです。個人も国家もへったくれもないのです。絶対NO!なのです。今現在地球のどこかで内戦やそれによって命からがら難民キャンプに逃げ込み生活している人達が大勢います。早く本当の平和が地球全体におとずれる事を祈ります、っていうかアクションを起こさなくちゃいけないんですよね。やり方は難しいけど、結論はひとつですから。

ココログうさぎさん、こんにちは。いつもコメント、ありがとうございますhappy01

毎年シンガポールに行った際に必ず訪れる場所があります。
日本とシンガポールの両政府が建立した「平和祈念碑」。

残念ながら、ここで日本人を見かけたことはありませんけど、私は毎回黙祷します。

日本は加害者でもあり、被害者でもあります。
アメリカやイギリスにとっての対日戦争。
正義のための戦い?

ではなぜ広島や長崎の悲劇が起きたのでしょうか。
戦争に正義もへったくれもない、というのが私の考えです。
二度と過ちを繰り返してはならない、そう思っております。

今晩は。
先日集団力道の話になりました。
集団として人が行動する場合と、個人で行動する場合には、大きな違いがあります。
集団ヒステリーとも昔なら読んだであろう商談の知己学に支配されます。

だれかが、やるだろう、眠案がいい地鵜からいいのだろう・・・ミスからの判断力を失い、判断する権利をほうきしたときには、ながされるまま。
学生の様々な事件にもこの数段力道は現れています。
一人では決められず、お互いに顔を見浅瀬ながら黙っている。頭に来ますよ

エリスさん、こんにちは。コメントありがとうございますhappy01

エリスさんのおっしゃるとおりで、日本人にはどうもそのようなところがあります。


以下、コメントというより、ブログの続きみたいに長くなります。

「勝者=全て善し」という考えは脇に置くとして、戦争責任の取り方も、ドイツと日本とでは全く異なります。
戦後東西ドイツはナチスとの決別から始まりました。
例えば、我が子にヒトラーと名づけることを法律で禁止するとか。

民族差別の禁止も徹底しており、おかげでヨーロッパでも有数の移民受け入れ国になりました。

翻って日本は?

敗戦により政治体制がリセットされた東西ドイツと違い、憲法が変わり(厳密には旧憲法の改正)民主国家に生まれ変わったはずの日本。

あいまいな態度をとり続けているのは、「リセット」が完全ではなかったからなのではないでしょうか。

もちろん、私は天皇制は否定しません。
昔も今も、日本のシンボルですから。

本気であの戦争と決別したいなら、もっと思い切った行動を取らねばなりません。
勝者が敗者を一方的に裁いた極東軍事裁判は国際法上、許せない裁判です。
対英米には敗者です。
でも、その他の地域では?
戦場や支配区域となった近隣諸国と戦争責任を巡って「謝罪と賠償」の問題がくすぶり続けています。

「あの戦争はやむを得なかった」

百歩譲って、仕方なかったとしても、では戦争責任は負わなくてもいいのでしょうか?

確かに人的、金銭的、技術的には日本は十分すぎるほど謝罪と賠償、支援を行ってきました。

ところが、一部の心無い人たちの言動によって、度々それがぶち壊しに。

ちなみに靖国問題では、絶対参拝するなとは言われていません。
公人私人の区別とか、参拝時期の問題です。
「靖国に入れてもらえる」と言って死んでいった兵士が祭られている神社への参拝自体を各国が避難しているのではなく、その形式を問うているのです。
(中国系や欧米系の外国人の観光スポットにもなっています。)

まもなく、中国の指導部が交代します。
またまた、謝罪外交から始まるのでしょうか。

一体、いつになったら日本の戦後は終わるのでしょうか?
(ドイツがフランスやポーランドに謝罪外交繰り返しているという話、聞いたことがありませんよ)

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/578215/53436900

この記事へのトラックバック一覧です: NO.104 12月8日・・・対英米蘭戦争から70年:

« NO.103 別れ、そして新たな出逢い | トップページ | NO.105 不登校とひきこもり »

にほんブログ村

楽天市場

楽天ブックス

  • 楽天ブックスで探す
    楽天ブックス

Amazon